人為 vs 自然の摂理(澤上篤人)

物事には限界というものがある。それを、自然の摂理が働くという。 たとえば、株価上昇の波に乗って、もっともっと儲けようと人間の欲は果てしなく膨らんでいく。 ところが、ある段階になってくると、果てしなく膨れ上がっていく欲望の片隅で、不安心理といったものが芽生えてくる。 すごい上昇相場が続いているが、誰かが売りだしたら一転して大きく崩れるに違いない。 そうなったら、売るに売れない状況に放り込まれ、大損を食らいかねないぞといった不安心理だ。 ガンガンの強気の片隅で、崩れに入ったらやばいぞといった警戒感が、心の中で徐々に醸成されていく。 そういった不安心理や警戒感が、ちょっとした下げをきっかけにパッと広がって、マーケット全般が売り一色に転じる。 その様を眺めていると、天井知らずの上昇相場に対し、自然の摂理が働いてブレーキをかけたかのように見える。 一方、国の財政悪化や借金の膨れ上がりに関しても、いずれ物理的な限界が立ちふさがる。 これも、自然の摂理が働くとなる。 日本はじめ先進国は膨れ上がる一途の財政赤字を埋めようと、野放図な国債発行を続けている。 国債発行を潤滑に進め、かつ国債の利子負担を抑えるそのためには、政策金利をゼロ同然にしておきたい。 そうやってきたものの、国債の発行残高がどんどん積み上がっていけば、いつかはその重みに耐えられなくなる。 そして、どこかで一角が崩れるや、国債はじめ債券市場では売りの連鎖が瞬時に広がっていく。 それはそのまま、債券の流通利回りの上昇、すなわち長期金利の急上昇に直結する。 これまた、自然の摂理が働いたと説明されよう。 どんな人為も、自然の摂理には勝てない。